2013年4月10日水曜日

[CGWORLD 2012]“3D映像の盛衰とこれから”が語られた大口孝之氏の講演「3D世紀 立体映画の100年」をレ

。  なかでも頑張っていたのがサンヨーで,1993年に裸眼3Dディスプレイを発売,高度な工夫がなされた製品を多数送り出している。しかし機材があっても「それで何を見るのか」というコンテンツの問題は解決されることなく,結局,コンテンツ供給がないということから事業としては失敗に終わる。  続いてシャープが2002年,携帯電話に3D液晶を搭載。ノートPCなどにも搭載していくが,売れ行きは芳しくなく,2006年には一度撤退する。が,後にスマートフォンで再登場したほか,3DSの裸眼3Dパネルはシャープ製ではないかと見る向きもある。 ■偏光フィルター  偏光フィルター方式は,右目用の画像と左目用の画像を一度に投影し,これを偏光メガネを用いて左右に分離するという方式だ。  偏光フィルターを実用化したのはエドウィン?ランド氏で,彼はポラロイド社の創業者でもある。1929年に開発されたこの偏向フィルターを利用した立体映画は,1939年のニューヨーク万博で上映されている。  偏向フィルターを使った3D映画は,1950年にアメリカでテレビの普及が急速に進んだことにより,ハリウッドが危機感を抱いたことによって注目を浴びる(ラジオの普及時と同じ理屈だ)。だがこのブームは,1953年から1954年上半期で事実上終わってしまった。理由は機械的なものから風評被害までとさまざまだが,ここでもやはり作品が立体効果に依存し過ぎていたり,3Dであることが鑑賞の邪魔になったりという本末転倒が起きていたと大口氏は指摘する。またなにより,同時期にワイドスクリーンが大きな成功を収めたことが,3D映画にトドメを刺すことになったという。 繰り返される3D映画ブーム  さて,さまざまな方式が現れては消えていった3D映画の歴史だが,ワイドスクリーンに押され,かつ映画産業全体が衰退し始めたことによって絶滅しかかったところを救ったのが3Dポルノ映画であったという。  これによって1970年台を乗り切った3D映画は,1980年から第2次のブームに突入する。70年台中葉に成熟した家庭用ビデオ(VHSやベータ)において,FF11 RMT,3D映画がリリースされるようになったのである。  しかしこの試みは,機械的な問題(家庭によって色がバラバラで,かつコンポジット信号だったため,立体視がうまくいかないケースが頻出した)に直面,商業的には失敗する,rmt。  代わって出現したのが,当時普及を始めていたケーブルテレビで3D映画を提供するという方向性である
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