。 齋藤氏: 僕は「スーパーマリオブラザーズ」でゲームというものを知りました。自分で「誰よりもうまい」と思うくらいやり込むうちに「ゲームを作りたい」という思いが出てきて。そこで「ゲームを作るにはどうすればいいのか」と考えて出した答えが「プログラマーになるべきだ」だったんです。そうして学校でプログラミングを学んでカプコンに入り,今につながるというわけです。 稲葉氏: カプコンに入社したという話がありましたけど,カプコンで齋藤を採用したのは僕で,MGRのディレクターに抜擢したのも僕なので,齋藤にはいつか恩返ししてもらいたいですね(笑)。 最後に,是角さんへ少々聞きづらい賳枻颏筏蓼埂%抓楗隶圣博`ムズが参加することになったとき,小島プロダクションの雰囲気はどうだったのでしょうか。みなさん好きでMGSRを作っていたと思うので,複雑な心境だったと思うのですが。 稲葉氏: あまり聞きたくないな(笑)。 是角氏: (笑)。 それはもう,どんよりというか……。実は稲葉さん達へMGSRのプレゼンテーションをしたのは私なんです。そのときに感じた「このままだとこのゲームは世に出ないかもしれない」「でも自分達で創り続けたい」という葛藤は,今でも良く覚えています。正直,悔しかったし,おそらくほかのスタッフも同じ思いだったのではないでしょうか。 幸い私は引き続き開発に関われることになり,気持ちも前向きになれました。サブタイトルの「リベンジェンス」(※復讐や雪辱といった意味)じゃないですけど「前よりもいいものを創らなくちゃいけない」という思いでここまで来たという感じです。 ほかのスタッフに,今のMGRをどのように思っているかを改まって聞いたことはないのですが,プロモーションムービーを見たり,体験版をプレイしたりといったときに出る感想は,いい意味での「うちだけじゃ出来なかった」ですね,アラド RMT。2つのスタジオが組んだことで新しいものが生まれた,ということは,みんな感じているのではないでしょうか。 コジプロスタッフ用の机も用意されたプラチナゲームズの開発フロア さて,お伝えしたインタビューに合わせて,MGRの開発フロアを含むプラチナゲームズ社内の様子が公開されたのだが,それに先駆け,稲葉氏がプラチナゲームズの生い立ちを語ったので,まずそちらを紹介しよう。 稲葉氏によると,プラチナゲームズの“源流”は,maplestory RMT,カプコンの子会社として2004年に設立されたクローバースタジオにあるという
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Zタトゥー
14 年前
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